東京農業大学 オホーツクキャンパス生物産業学部 海洋水産学科 

小林甲弥先輩

京北高等学校令和2年(第73回)卒 剣道部




 Q、どうして東京から北海道に来て、この大学を選んだのですか。
A、魚や海洋に関することについて興味があり、学びたいと思ったときに、本大学ですと実際に現地の海に行って調査できると思い選びました。




 Q、北海道に移り住まれるときの気持ちは。
A、不安でしかなかったです。東京と北海道(網走)は真逆な環境なので、何も無いようなところで生きていけるかという不安がありました。




 Q、いつ頃から海洋水産学科に進みたいと思ったのですか。
A、高校生の進路を決めるときに、家で魚を飼っており興味があり、好きなことの知識を深めたいと思いまして海洋水産学科に進みました。




 Q、学生生活は楽しいですか。
A、はい、楽しいです。




 Q、北海道の生活(学校やプライベート)はどんな感じですか。
A、これまで漁師さんが船の上で何をしているか認識できていなかったのですが、実際に一緒に船に出て、目の当たりにして認識できました。漁師さんからは、船の上で機械を使った作業のほかにも、潮の流れや、天候・風向きの読み方など多くを学びました。大学の先生からは机上の知識を学べますが、漁師さんからは実践の知識が学べます。




 Q、ホタテバイトの時期と時間帯を教えてください。
A、時期は、はじまるのは春で、終わるのは秋です。時間帯はだいたい夜中1時か2時からはじまって、終わるのは朝方の9時か10時くらいです。




 Q、ホタテバイトは、具体的にどんなことをするのですか。
A、ホタテは成長していくにつれ、入れる籠の目の大きさも変えないといけないため、海から上げてきたホタテを取り出して複数の籠に仕分けして入れる作業が多いです。ハードですがその分、やりがいも大きいです。




 Q、以外とデリケートな作業ですね。
A、そうですね。ホタテが小さい時からずっと同じ籠に入れて放置というわけにはいかないのです。成長に度合によって籠の大きさも変えていきます。




 Q、ホタテバイトはどこの海でやるのですか。
A、場所(売屋)によってホタテの作業が始まる時期が違います。海でやるときもありますし、湖でやるときもあります。そのためずっと同じ場所でやっているというわけではなく、転々と場所を変えてます。




 Q、ホタテバイトの経験で何か役にたったことはありますか。
A、これまで漁師さんが船の上で何をしているか認識できていなかったのですが、実際に一緒に船に出て、目の当たりにして認識できました。漁師さんからは、船の上で機械を使った作業のほかにも、潮の流れや、天候・風向きの読み方など多くを学びました。大学の先生からは机上の知識を学べますが、漁師さんからは実践の知識が学べます。




 Q、東京農業大学のオホーツクキャンパスでみんなにアピールできるところはどんなところですか?
A、「海が近くにあり、そこに生き物がいる」ということが一番のアピールポイントです。東京では絶対にできいないことをやっているので、自分がやりたいことの視野を広くすることができます。




 Q、将来はどんなことを考えているか。将来の夢は。
A、プランクトンの研究をメインにやっているので、プランクトンに関連する仕事につければ良いと思います。海の中では「植物プランクトンを食べる動物プランクトン」→「動物プランクトンを食べる小魚」といったように生態系は食物連鎖でつながっていくので、水産の食物連鎖の原点となるプランクトンに興味があります。




 Q、そうしますと、出身は東京ですが、東京以外で仕事を見つけるつもりですか。
A、できれば友人がいる東京に戻りたいです。東京の水産試験場などで働ければよいと思っています。




 Q、現在は北海道の網走で一人暮らしされているそうですが、アパート生活はどうですか。
A、アパート生活も楽しいです。 家事とか自分でやらなければいけませんが、普段実家暮らしてのときは親に任せていたことが、自分でやれるようになることでその部分では大人になれた気がします。




 Q、家賃はいくらで、部屋数の大きさを教えてください。
A、家賃は4万円位です。部屋は2部屋あり、リビング・キッチンで9畳と寝室6畳です。




 Q、一人暮らしでは自炊しているそうですが、何をつくっているのですか。
A、冬は鍋が多いです。具材は魚より豚肉と野菜を良く入れます。夏はSNSで食べたいものを調べていろいろ作ります。最近では「肉巻き」を作りました。 食材はよくスーパー「BASIC」で買います。貯金が貯まったときは、羅臼まで車で足を延ばし、知床食堂の「うに丼」を食べたこともあります。




 Q、現在も大学4年で親元から離れていますが、東京に帰りたいと思ったときはありますか。
A、あります。東京で高校時代からの友人である山崎翔平、高山茂大、中野智貴に会いたいです。




 Q、高校のときの担任の先生は。
A、遠山先生です。




 Q、高校のときの思い出は。
A、剣道部の部活経験が一番の思い出です。現役時代はきつかったですが、いま思い返すと、あのときの熱い気持ちは大切な宝物です。




 Q、高校の剣道部での一番よかった成績とポジションを教えてください。
A、令和元年 東京都高等学校新人剣道大会(団体)3位です。ポジションは先鋒です。




 Q、京北の先輩として後輩たちに伝えたいことはありますか。
A、東京の中で進路を考えている人が多いと思いますが、全国に視野を広げて進路を考えてみてもよいかと思います。不安なことが多いと思いますが、新しい道に進むときは勇気がいります。自分がやりたいことをやるためでしたら、あきらめずに勉強したほうが良いかと思います。



















警視庁 自動車安全運転センター安全運転中央研修所 副参事 実技教官 

本橋正祥先輩

京北高等学校平成16年度卒 剣道部

Q、 自己紹介よろしくお願いします
A、 はい、警視庁 本橋正祥と申します。

Qこの道を志した動機を教えてください。
A. はい。物心つく前から、何か大捕り物を見たという記憶もないのですが、警察官になりたいと言っていたようで、大きくなってもそれがぶれずに来たということです。また、警察官になるには武道も必要と思い、剣道を習い始めました。オートバイは大学生のころに興味を持ち初めまして、どうせなら一番凄いところに挑戦したいということで希望して現在に至ります。




Q現在はどのような仕事をされているのですか。
A.現在は茨城県ひたちなか市にあります、安全運転中央研修所というところで教官として 警察、消防、自衛隊の緊急走行や安全教育に携わっております。




 Q以前はどちらに勤務されていたのですか。
A.警視庁交通機動隊に約6年半、第2方面交通機動隊というところで、管轄は大田区と品川区を持つ交通機動隊で勤務しておりました。




 Q教官として教えることの大切さや難しさ等を教えてください。
A.今までは希望して訓練をしに来ている人たち、基本的には私たちより年齢が下の人たちもいれば、技術が劣っている人たちもいます。警察組織なのでやはり身内ということで厳しい指導になることもありましたが、中央研修所では他所属の人、勤務、経験、技術の差がかなりありますので、そういった人たちに一律同じように教えていく中で、細かな部分まで受け取ってもらえるよう努力しています。




 Q現在の勤務地は茨城県ですが、ひたちなかまで通われているのですか。
A.現在は単身赴任をしております。




 Q交通ルールや規則についてのお考えをお聞かせください。
A.危ない乗り物であるということです。普段の生活に溶け込みすぎたり日常の中に溶け込んでしまっているので、危ないというよりは便利という方にいってしまうのですけど、必ず毎日どこかで誰かの大切な人が「行ってきます」と言って「ただいま」を言えないような日々が続いていますので、他人事とは思わず、どこか異国の世界の事ではありませんので、頭の片隅に置いてほしいと思います。




 Q高校時代の思い出を教えてください。
A. 担任は国語の池田先生でした。京北高校の思い出と言えば全部剣道部のことですね。前田、久津という同期がおりまして、いつも一緒にいてバカなことをやったり、怒られたり(笑)。朝、前田と通学時間がほぼ同じで、どっちが先にいつも使っている和式の便所に駆け込むかという勝負を毎日していました。久津と前田とは楽しいこともキツイことも思い出を共有した同期ですね(笑)。今でも連絡を取り合っています。高校時代の全てを知っている仲間で、今でも繋がりを持っています。やはり剣道部の同期とか、警察の同期とかいうのは、普通の友達とはレベルが違う関係なのかなと。私の財産の一つかなとは思います。部活は楽しくて厳しくて、私が警察に入ってからも京北の剣道部であって良かったなと。非常にいい経験と今の自分を支えている基盤を作ってくれたのが、京北高校であり剣道部であると思っています。




Q後輩へ一言お願いします。
A. 一番楽しい時期ですし、一番大切な時期でもあると思います。コロナ禍でいろいろ制限される期間を過ごしてきた方々、思いっきりやってみたい事とか、いろいろあると思いますが、これからは制限も以前とは変わってくると思いますので、チャレンジしていただければ、そして失敗もしていただいて成長へと繋げてほしいです。悩んだり間違ったり、いろいろな選択の場面があると思いますが、おそらく自分次第でその選択を正解にすることができると思いますので、変に悩まずどんどん行動してほしいと思いますね。
株式会社 MAT JAPAN(エムエーティージャパン) 代表取締役 

前田和彦先輩



京北中学校・京北高等学校平成16年度卒 剣道部

Q、 自己紹介よろしくお願いします
A、 はい、株式会社エムエーティージャパン代表取締役前田和彦と申します。 中学から京北中学校、高等学校と6年間お世話になり剣道部で鈴木先生の元、仲間達と一緒に6年間汗を流しながら頑張ってきました。中学1年生からずっと剣道部で6年間一緒だった久津が一番の思い出です。 他には自分の小学校の時から知人で森田ですね。 今では久津、森田、林そのぐらいになっちゃいましたけど年に1回ぐらいはみんなと他のメンバーが集まっては懐かしい思い出に花を咲かせています。

Q、 現在の会社についてお聞かせください。
A、 3人で立ち上げました名前の社名の由来になったのが私が前田で私の相方の安と武縄の頭文字を at と取ることによってそれが日本にある会社だよということで MAT ジャパンと名付けさせていただきました。 今の会社を立ち上げて最初はどういったことをしようかとかそういうプランも何も決まってはいなかったんですけど、必然的に前職でやっていた安全用品をはじめとする商品を世の中の皆様に少しでも品質の良いものを安価でお届けしたいというコンセプトで現在までに至ります。建物を建てられるものですとか命綱等と呼ばれるものそういった類のものを多く台湾の協力工場で製造し、輸入して日本で販売を行っております。 弊社のモットーは自分たちのできるもの!自分たちで決めない!というものがモットーなのでお客様の要望があればその要望にお答えしていきながら工場を探し、足で稼ぎながらいろいろなものを作らせて頂いております。できないものはないと思ってますのでお客様の要望に合うものを作らせて頂いている中で、現在は消防隊員さんが使うベストに使われる生地を調達してみたり、燃えない生地だったり切れない生地だったり、そういったものをお客様に提供させていただいております。あとは入札関係になるんですけれども、官公庁の警視庁の方から言われてナイフとかで刺された時にも手袋で握っても切れない強い手袋とかそういった類のものを作らさせて頂いております。 北海道警、長野県警、神奈川県警、生地だけのご提供で言えば警視庁、埼玉県警その他もろもろですけれどもいろいろな所に卸させていただいております。 弊社が作った燃えない生地ですとか、そうの生地を提供させて頂いてそれを消防隊員の方々にお届けさせていただいております。(写真:左の黒い手袋)

Q、 こちらのウインチセーフはどもようなものですか。(写真:左の黄色いウインチセーフ)
A、はい。大きなトラックなどに乗用車などを乗せるときに使い、引き上げる道具です。これはお客様よりご相談をいただいたとき、自分で考えて、こんな感じかなぁって感じで作ってみました。細部にはお客様のご要望が散りばめられています。

Q、 起業の夢が叶ったのですね。
A、 現在の仕事になるとは思っていませんでした。 高校時代は小・中学校から剣道を始めて、中学高校と剣道をずっと続けてきまして、大学も剣道をするために大学に行きましたが、鳴かず飛ばずで途中で中退をさせていただきまして、そこからそれまでは警察官になるつもりでずっと剣道を続けておりましたが大学を辞めると同時に竹刀を置き、何をすることもなく飲食店でバイトをしていて、このままじゃダメだなと思うところから、真剣に自身を見つめるようになりました。 会社では私が一番後輩にあたるんですけども、武縄が一番古株でその次に安、そして私が新人として、安全用品を扱う建設関係のビルメンテナンスを行うクリーンビルの清掃を行う会社に安全用品を卸す会社のメーカーさんに入らせて頂いてそこであの3人が出会いまして今やってる仕事の半分近しいことを台湾に行って商品の製造したりだとかそういうのをやっていくうちに私と安で、「これは二人でも、もしかしたらできるんじゃない」と思い、現会社を起業してみて誰でも出来るんじゃないかなっていうところから企業をするっていうことが頭の中に浮かびました。本当に良い二人に恵まれて起業させてもらって今に至ります。私は今でも思うんですけれども社員一人一人アルバイトもいますが彼らの上に立てるような人間だとは私は思っていませんので、私が必ず心がけていることは代表だからどうこうとか社長だからどうこうではなくて、みんなで一つの製品を作り上げて皆で営業して皆でお客様からお金をいただくっていう心の下でやってますので、みんな一律平等である、おごらない、というのが私にとって大切なことだんではないかなと思います。でも表に出るときは私が顔になりますので、お客様の気持ちになり、気配りを徹底し、素直な耳で素直な心で向き合うことを大切にしています。また、仕事上で何かありましたら責任も取りますし、作業をするお客様に物をお届けするという責任感を常に心に置いて仕事をさせていただいております。

Q、 担任の先生はどなたですか。
A、 小松崎先生です。何をやっても許されるんじゃないかなっていうような2年生でした。すみません。 3年生になって急にガラッと変わりまして、急な変更がありその当時成績も振るわなく、素行の悪い連中を集めたクラスが作られまして、そこになぜか田渡先生が担任とし来られました。みんなホームルームに遅刻できないので、朝はみんな猛ダッシュで教室に入り、授業中寝ることなんて一切できませんでしたね。あの時のことを思い出すと今でも冷汗が出てきますね(汗)

Q、 後輩たちへ一言お願いします。
A、 私は中学高校時代と勉強のべの字もしませんでしたし、剣道ばっかりやってましたね。先生方にもご迷惑をおかけいたしましたし、当然あの仲間たちにも迷惑をかけるようなこともしてきました。良いことも悪いことも率先してやるタイプだったと思うので、その中でも私が社会に出た時に学生時代にもうちょっと勉強しておけばよかった、こうしておけば良かったということが多々あり、壁にぶつかることがありました。それに通常の人は多分気づいても気づかないふりをして社会をそのまま行ったりとかするのだと思うんですけど、私の場合はタイで1年半過ごしたことがありまして、その時に私と同じ歳ぐらいの女の子が路上生活をしているのを見た時、私の生まれた日本は子を大切に守る国なんだと思い、ふと自分も変わらなきゃいけないんだって気づいた時からが社会人の始まりだと思います。なので皆さんも今やってることも当然大切なことですけれども、これから社会に出た時に自分がこれはとか、これが自分がやるべきだとか大切だって思ったことに対してまっすぐ進んでもらえればなと。そうすれば良い結果が出るんじゃないかなと思いますので頑張って下さい。応援しています。ありがとうございました。

株式会社ヤナセ 

久津 雄樹先輩



京北中学校・京北高等学校平成16年度卒 剣道部

Q、 この道に入ったきっかけを教えて下さい
A、 はい、もともと車が好きだったこともあり、前職の時に営業職を少しやっていましたので営業職のイロハであったり、自分がどのような営業したら良いのか模索していました。 休日などに好きな車のディーラーさんにお客さんとして遊びに行っていたことがありまして、どのような接客をしてくるのかな、と見ていたことがありました。その中で色々なディーラーの接客を見させていただいた中で、弊社ヤナセが一番お客様に親身になってお話を聞いてくれる、そして頼りがいのある人だなと思ったのがきっかけとなりました。

Q、 ヤナセのディーラーとしてどのようなことに気をつけて仕事をされていますか
A、 はい、やはり扱っている商品がメルセデスベンツなので、幅広いお客様がいらっしゃって、通常ではあまりお話をすることのないような大きな会社の方であったりとか、そのような方々がいらっしゃる中で、車のお話をさせていただくうえで、お客様が何を望んでいらっしゃるのか常に考えながら言葉を選んでお話をしていくというのが一番気を遣うところかなと思います。最近はマナーなどの本をよく買って読んでいますね。学ぶことが多いと改めて感じたので、初心を忘れないようにしています。

Q、 車の試乗はできるのですか
A、 はい、もちろん試乗できます。ご要望によってはご自宅まで試乗し車庫のスペースを確認したり、また高速を走ったりするお客様もいらっしゃいます。また、今お乗りのお車の査定もできます。

Q、 今の仕事で苦労されていることを教えてください
A、 はい、通り一辺倒な営業になってしまうことがあります。自分自身をお客様に売るのが仕事なので、自分自身を売るのにもそのお客様に合った接し方をしなければならないのに、私の個性ばかりが出てしまうことがあります。やはりお客様のニーズにあったお答えをしなければならないというのが今後の課題だと考えております。

Q、 ヤナセ世田谷営業所にはどのような車が展示されているのですか
A、 はい、 S クラス、 E クラス 、AMG などの車を展示しています。車以外にも自動車保険や生命保険も取り扱っております。

Q、 高校時代の担任の先生を教えてください
A、 はい、中学から6ヵ年通わせていただきました。高校での担任の先生は1年生の時は依田先生、二年次は大木先生、3年生では田渡先生でした。

Q、 あなたは中学高校時代どのような生徒だったのですか
A、 はい、今だから言えるのは先生によっては態度をころころ変えるというのは正直ありましたね(笑)。田渡先生、剣道部 鈴木先生の前では本当に怖かったので(汗)。その代わり優しい先生の前では、授業中にその先生の財布を抜き取ったりして遊んでいました。授業の最後にはお返ししましたけど。「甘いよっ!」何て言って遊んでいました。中島先生ごめんなさい(汗)

Q、 中学高校生活での友達との交流について教えてください
A、 はい、そうですねやっぱり6年間ずっと一緒の友達もいますし、高校から仲良くなった友人もいるのですが、その頃はというのは自分の中ではベストタイムだったと思いますね。今年で36歳になりますけど、未だに中学高校の時の友達は仕事としてもプライベートでも付き合っていますね。家族同士の交流もをしている友人もおります。自分の人生にとって欠かせない友人ができたのが中学高校でしたね。何でも話せる友人は一生涯続くんだなーって思えてならないです。

Q、 後輩達に一言お願いします
A、 はい、自分は何で勉強しているんだろう、自分は将来どうしたいんだろうと真剣に考える時期があっていいと思います。自分自身を見つめる時間を守ってほしいですね。夢に向かって頑張る時期である今を大切にしてほしいです。頑張っていただきたいですね。

Q、 常に心に留めているものを教えてください
A、 はい、日々勉強。京北で学んだこと、特に勉強だけでなく人間性の部分であったり、人と人との縁であったりとか大切にできるような人間になれたらなと思っています。それを忘れないようにしています。





サンロッカーズ渋谷 

田渡 修人 先輩




Q、 この道を志した理由は
A、 小さい頃からバスケットボールに触れる機会が多く、父親が指導者をしていた事もあり物心ついた頃には目指していました。

Q、 現在所属されているチームはどのようなチームですか
A、 セルフィッシュな選手がいなくて、全員でお互いを助け合いながら常に100%でプレー出来るチーム。

Q、 どのようなプレイヤーを目指していらっしゃいますか
A、 自分が出ていればチームが落ち着いて安心できるような存在感のある選手。 子供達に目標にしてもらえる様な選手。

Q、 座右の銘を教えてください
A、 気魄

Q、 高校時代の担任の先生は
A、 中島先生

Q、 高校時代の思い出を教えてください
A、 部活動の思い出としては、みんなと厳しい練習をお互いを励ましながら乗り越えて、インターハイやウィンターカップでいい成績を残せた事。 学校生活では、クラスのみんなと笑って話ながら過ごせ日々は本当にかけがえのない時間でした!

Q、 後輩たちに一言お願いします
A、 今しかないこの時間を仲間や先生達と一緒に最高な思い出になるように、夢や目標を持って、色々な事に全力で取り組んでください!!

(写真提供:サンロッカーズ渋谷)

インドアゴルフスクール M's エムズ オーナー 

大森 勝先輩

 

京北中学校・京北高等学校平成3年度卒 剣道部
六か年精勤

Q、 この道を選んだ理由は
A、 実家がゴルフショップであったのもありましたが、継ぐのであればプレーヤーと思いプロを目指しました。しかし、将来を見据えてレッスンの道へ入り現在で12年目になります。
Q、 M’s インドアゴルフスクールについて教えてください
A、 レッスンは僕一人で教えています。火曜日が定休日です。レッスンスクールを始めてから一度も休むことなく続けさせていただいています。実は中学、高校と6ヵ年精勤でしたので、その支えもあるのかもしれませんね。 レッスンを受けられる方は、主婦の方や仕事を引退された方、または土日を利用してグループやお友達同士で来られる方もいらっしゃいますね。ジュニアは現在6名です。ゲームみたいな感覚で遊びを通して来て楽しんでくれています。
Q、 教えることの大変さはありますか
A、 100人いたら100通りの考えがありますね。基本はやりますが、その方の年齢、経験値、この方はスイングを求めているのか、結果を求めているのか、健康を目標にされているのかなど様々ですね。ラウンドしながらレッスンという形も取っていますので、その方の目標に合わせてレッスンをしています。レッスンの先には楽しさが待っているということが大切かなと考えています。
Q、 コースレッスンもあるのですか
A、 火曜日に実施しています。栃木ケ丘ゴルフ倶楽部や星の宮カントリー倶楽部です。シーズン中は月に2回から3回ですね。
Q、 京北時代の思い出は
A、 部活の先輩方にいろいろなことを教えていただいた事ですね。先輩方みんな強くて厳しかったですがこんな自分にも優しく声を懸けてくれました。 後輩にも恵まれ、現在も連絡を取り合ったり遊びに来てくれます。うれしいです。中1のころ部活帰りによくジュースをおごってくれたあのジュース、美味しかったことを鮮明に覚えています 笑
Q、 高校の時の担任の先生は
A、 高校2年、3年生のとき田渡先生です。ホームルームから空気がぴりぴりしていました。懐かしいです。感謝しています。
Q、 今後の抱負は
A、 継続は力なり!M’sエムズを続けていくことですね。そして何よりも生徒さんがゴルフ上達を少しでも実感できることを、これからもやっていきたいと思っています。
Q、 京北の後輩たちに一言
A、 僕は学生時代そんなに勉強していなかったので、大それたことは言えないのですが、何をやるのでも一生懸命やるのが後々繋がるかなと思います。6年間剣道をやっていて厳しい練習を一生懸命やり抜いたことが、今の仕事の原動力になっていると思っています。何か一つでいいので一生懸命になってみてほしいです。頑張ってください。
ヘアーサロン RoSSo オーナー 

小垣内昌文 先輩



京北中学校・京北商業高等学校平成5年卒業 剣道部
六か年精勤

Q、この道を志した理由は
A, 幼稚園のころより理容をやっていこうと決めていました。幼稚園の卒園の 手紙に「大きくなったら床屋さんになる!」って書いていましたね。 両親が理容店を経営していたので必然的に やるものだと決めていました。
Q、どちらの専門学校に進まれたのですか
A, 国際理容美容専門学校です。
Q, 現在ヘアーサロンは何店舗展開されているのですか
A, 川口、北赤羽、田端、白山の4店舗です。
Q, 現在、ご苦労されている事はどのようなところですか
A, どの業界もそうだと思いますが、「人」「教育」「人間形成」などが一番大変だと感じています。一人で経営したり少人数でやっているほうが絶対的に楽だと思います。しかし、業界的に盛り上げていかなければいけないという観点から、若いスタッフ達を育てていかなければいけないという事を大切にしています。相手を変えるには自分が変わることが大切だと考えています。 スタッフにはお客様の髪を切らせていただくという心、感謝の心を育ててゆけ ればと思っています。
Q, 高校時代の担任の先生は
A, 一年生では野中先生、二年生では三好先生、三年生では金井先生に担任をしていただきました。今思えば勉強以上に、当時の私たち生徒に10年後15年後 に役立つことを教えてくださった先生方でしたね。特に三好先生は強烈でした ね。いろんな意味で(笑)
Q, 高校時代の思い出を教えてください
A, いっぱいありすぎて、どれを話していいのか、、。やはり部活ですかね。全ての思い出が部活でしたね。学校の教室の友達よりも部活の仲間の繋がりが大きくて、そこに尽きますね。良いことも悪いこともあってひっくるめて楽しかったです。今人生45年生きてきても、そこの思い出が一番大きいしそこで成り 立っている感じがします。学生時代の過ごし方って大切だと思っています。 思い出をもとに、楽しかったことをもとに頑張れている自分があるのかなと思っています。
Q, 後輩たちにひと言お願いします
A, 私は中学校から6年間お世話になりました。学生時代は勉強が大切だと思いま す。京北には京北の良さというものがあり、雰囲気がとても好きで学校に通っ ていたので、学生時代は勉強はもちろん大事ですけど、いろいろな視野を広げてたくさんのことにチャレンジしながら将来何をやりたいか常にアンテナを張 って学生生活を送っていくことで、その先何かに繋がるものもあるし、その環境が京北には整っていると思います。ましてや東洋大学と繋がっているので、良い意味で視野が広がるのではと思います。先生方からいろいろな話を聞いてたくさん経験をしてステップアップしていただきたいと願っています。
東京国際大学3年生

箕田拓人さん(左側)
言語コミュニケーション学部
今、夢中な事!!
英語で話せるようになってきた。
English PLAZAでネイティブの友人と喋れる事。

石山雄大さん(右側)
人間社会学部スポーツ科学科
今、夢中な事!!
ゴルフです。

2人は2014(平成26)年、白山高校を卒業。大学の講義の合間を見て母校を訪ねてくれました。
1階エントランス奥の中央階段を上がり2階の右奥にある校友会室です。
室内は明るく、中央には会議用のテーブルが置かれています。
京北の歴史を物語る資料が展示されています。 
窓からは200メートルトラックがあるグランドが見渡せます。  











 
 
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